昭和49年11月10日 朝の御理解



 御神訓 一、「祈りてみかげのあるもなきも、わが心なり。」

 祈りをもってお願いをするという事ですね。お願いをしておかげのあるもない、おかげというのを霊験とあります。祈りて霊験のあるもなきも、わが心なりと。ここの御道で言う、天地書附にある和賀心、和らぎ喜ぶ心とは違います。吾という字ですね自分の心にあるんだというわけです。だから自分の心の状態を見れば、おかげになるならんが分かるとさえ、私は、思えれる御教えだと思います。この浅ましい汚い心。
 これではおかげは受けられんはずだと。それはお取次ぎを頂いてお願いを致します。けれども、そういうものではなくても、おかげの受けられるような状態ではなくても、おかげは受けます。信心がわかっても分からんでも、お取次ぎを頂いてお願いをする、おかげを受ける。その事実は沢山あります。けれどもぎりぎりのところのおかげというのは、和賀心であります。
 昨日は私はある大学を途中で止めて、他の仕事に入りそしてまた他の仕事に変わりたい。または大学に復帰する。また色々どういう行き方になったが一番良いだろうかというお願いであり、お伺いが御座いました時に、一番良いのは大学に復帰することが一番良いという事を頂いたんです。いや本人としてはどれでもいいわけですけれども、どれが一番良いかというと大学に復帰したが良い。
 ところが大学のほうでも、あんまり成績もあんまり良くなかったし。それでもやはり出来れば仕事のほうをやめて復帰してもらい。色々に心が迷うておられる。そういうお伺いに対してから、本人が決心が付けばおかげと言う事であった。例えば色々なお伺いの中に、大学に復帰するという。大学に復帰するが一番良い。けれども朝が起きれん時があったり、幾ら起こしたっちゃ起きらんと言う様な、ちった不精な所があるらしい。そら学校もあんまり良く出来てなかったらしい。
 それでも矢張りそういう幾つかの、仕事を変わったが良いかこの仕事が良いか、大学に復帰したが良いか、夜間大学に行ったが良いかと、色々なお伺いに対して、今まで行きよった大学に復帰したが一番良いと。もうそれは普通三年かかるとこは、四年かかってもまあだ若いのだから二年、三年の事じゃない。それが大体一番おかげだというふうに。それがさぁ出来るじゃろかとこう言う様に、また不安があるわけです。そこへ決心がつけばおかげという。決心が付けばおかげ。
 あれこれ迷いながらあれに決め、これに決めたんじゃおかげにならん。同じ御理解をこれも病気の、大変難儀な病気です。もう本当に大変な病気なのです。という医者の診断が下りて、お願いに見えたんです。けれどもそれこそ今合楽では、そう言う様な例えば病気などの、いろんな難儀な問題でもお取次ぎさせて頂いて、おかげを受けておるがそれもやはり本人の決心次第だと言う事です。こう言う事が私は今日のここの、わが心だと思うですね。おかげのあるもなきもわが心というのは、そういう心。
 ただ自分の心の中にある、浅ましい心。はぁこんなこっじゃおかげは頂けまいとか。和らぎ喜ぶ心が人よりも少ないから、おかげは頂かれんだろうとか。成程そういうわが心。自分の心決心がついて、その上和らぎ喜ぶ心が段々出来てくる。精進をさせてもらやなおさら有難い事でしょうけれども。それとはこの和らぎ喜ぶ心という、心の状態ではないと思う。問題は自分の心に決心が出来るか出来ないかという、その事が私はここはわが心と言う事だと思うです。
 昨日例えば人生のいうならば、幸不幸の分かれ道に立っておる。だからどの道を歩いたが一番良いかというお伺いやら、命があるやらないやら医者はもう難しいと言う様な難病に取り付かれて、もう長い命でもない。本人にはまあだそれは言ってはないけれども。そこでそれでもおかげが頂きたい。どういう信心をさせて頂いたら、おかげ頂くだろうかという事に対して、本人の決心次第だと言う事です。
 ここん所がです。祈りてみかげのあるもなきも、自分の決心次第だという風に言ったほうが、ここの御神訓は分かりやすい気が致しますね。ただわが心自分の胸に手を当ててみよ。おかげの頂けるか頂けんか、それで分かるそういう場合も有ります。自分のように心掛けの悪い、それでおかげは頂きたい。または自分の心の中にあれこれと迷うておる。一心が出ない。成程一心と言う事を言われるが、是ではおかげにならないはずだと言った様なものをです。けども今日の私はここのわが心という。
 自分の心なりという、わが心なりと言われるわが心とは、決心だと言う事です。中々決心がつかない。それでも溺れる者は藁をもつかむという気持ちで、どこに迷うたりここに迷うたりも色々してみて、合楽の教会に御神縁を頂いて、お話を頂いていきよるうちにです。これはもう自分の助かる所は、ここ以外にはない。例えそれが結果が、右になろうと左になろうと、この神様におすがりする事に決心が出来た、心が決った心が定まった。そういう定まった心におかげがあると言われる。
 決心がつかないとあれに迷い是に迷い。そして神様にもおすがりをしていると言う様な事では、決心がついておるとは言えない。心が決まると言う事です。この決心が出来ればです。例えば出来ないはずの大学復帰も出来るんだと言う事。昨日私がお取次ぎをさせて頂いた事からだったりとも、決心と言う事を頂いたんですけれども、その死ぬか生きるか分からないほどしの大変な大病であるけれどもです。本人の決心次第だと言う事で、助かる事が出来ると言う事です。
 所が中々決心というのが出来ません。出来たごとあるけれども、横からちょっとどうか言われると、もうそれにちょっと迷う。それでは決心が出来ておるとは言えないわけです。皆さんおかげを頂くためには、決心しなければいけんのですだから。本気で一つ信心をさせて貰うと言う事。決心がつけばおかげになると。「祈りて霊験のあるもなきもわが心なり」霊験と言えば、不思議な働きという事でしょう。不思議な印と言う事です。それは、ただ神様に一心におすがりをしておるというだけではない。
 何々にもすがっておる。あれにも是にも縋っておる、と言った様なものではない。不思議な印は見えぬほどしの、おかげのあるもないも、自分の決心次第だと言う事です。簡単なようですけれども、中々決心はついておるようであって、付いていないと言う事です。都合の良い時には自分が決心が出来ておるからおかげ頂きよるごとある。けれども少し、風向きが変わってきたり、悪くなってくると、その決心が鈍ってくる。
 動いてくる。これでは本当の決心とは言えない。決心一つで出来ないはずのことが出来る。治らないはずの病気が治る。同時にわが心。自分の心というものを眺めてみてです。成程こういうずるい考え方、こういう浅はかな思い方では、おかげにならんだろうと気がついたら、勿論そこも改めて行く事が大事です。そして本当の意味においての和賀心。和らぎ喜ぶ心を目指させて貰うと言う事も、そうですけれども。今日私わが心という事をです。決心という事で聞いて頂いたのです。
 決心と言う事は、迷わない事ですからね。だからおかげを受けるのです。一つの事を、例えばなす上にも、矢張り決心をしてからの、それに臨まなければ本当の成就にはなりません。ましてや神様へ向うてしかもここに、霊験いわゆる不思議なおかげ、不思議な働きを頂くためには、愈々この決心が出来なければおかげになりません。貴方のおかげのあるもなきも決心次第だと言う事です。
   どうぞ。